道路行けば新発見!
◎しまね観光ルートの旅
銀の道
最盛期には、日本の銀の大半を産出した石見銀山。搬出港があった温泉津町から広島県尾道市までを結んだ「銀の道」は、多くの人と物の往来、そして文化交流をしのばせるルートです。

案内人/中島美映子


観光島根キャンペーンレディ
休日は県内のあちらこちらを訪れ、気に入った風景を写真におさめる活動的な26才。毎週、思い出のアルバムが増えている。
写真

世界遺産登録に向けて、価値が見直されている石見銀山。興味津々で、まずは国道9号を走り、石見銀山への食料や資材搬入の中継基地として栄えた温泉津町を訪ねました。

温泉津町は温泉のある港町です。温泉街の通りには、なまこ壁で知られる豪商屋敷がありました。昔の隆盛を伝える立派なお屋敷です。玄関いっぱいにかかる大きな縄のれんをながめていたら、このお屋敷の当主さんが出てこられて、温泉津湾に残る「はなぐり岩」のことを教えてくださいました。

船の綱を結ぶために、岩壁を削って作った岩が「はなぐり岩」です。温泉津湾に面した細い山道を歩いて、ようやくたどり着いた入江には、丸型や円すい型など、さまざまな「はなぐり岩」が残っていて、多くの帆船が停泊した往時をしのばせています。

かつての港のにぎわいを想像すると、石見銀山への期待も高鳴ってきました。そこでワクワクしながら、温泉津町から石見銀山へ向かいました。国道9号を松江方面に少し引き返し、石見銀山の案内標識にしたがって走ります。温泉津港より以前に、鉄鉱石の積出港として栄えた靹ケ浦がある仁摩町から、県道に入って10分ほどで石見銀山です。

石見銀山は、大田市街地から南西の山間にある大森町を中心に栄えた銀山です。14世紀初頭に発見されたと伝えられ、戦国時代には大内氏、尼子氏、毛利氏といった戦国大名の争奪の的となり、江戸時代に幕府の天領となりました。最盛期には約20万人の人々が暮らしていたという伝承もあり、16世紀後半には大量に産出された銀が朝鮮半島や中国をはじめ、各国にも交易されていたそうです。

私はまず「石見銀山資料館」で、銀山のあらましを知ることにしました。この資料館には、当時のものと伝わる「石州判銀」がありました。石見の銀が世界の多くの人々に夢を与え、山陰と山陽、そして諸外国との交流をもたらしたと考えると、その鈍い光りに底知れない価値を見る思いがしました。

石見銀山では、大森の町並みが見どころです。武家と町家が混在して、あたかも江戸時代にタイムスリップしたような気分にしてくれました。現在では、古い民家を改装したおみやげ店、雑貨屋などもでき、若者に人気です。

さて次は、大森の町並みをぬけて、昔の坑道を公開している「龍源寺間歩」へ。ひっそりとした坑道の中に入ってみると、壁や天井に掘った跡が残っています。耳をすますと、坑夫たちの鎚の音が聞こえてきそうでした。

私は「銀の道」で、島根の個性的な文化を追体験した思いでした。そこには、約600年にわたり、世界を巻き込んだダイナミックな歴史がありました。そして、今また銀を通して、古い町並みなどの文化財を生かしたまちづくりが行われています。

連綿と続く歴史のひだと人々の思いが伝わってきて、ふるさと島根の古くて新しい魅力を再発見しました。


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