しょうちゃん帽と益田           安部 譲二
安部譲二
日本海に沈む夕日

あれは3年前の冬でした。
島根県の益田に行くことになった僕は、デパートの帽子売場に行って売り子のおばさんに、
「しょうちゃん帽を下さい。今からとても寒いところに行くんです」
と、言いました。
どこへ行くのかと聞いた売り子のおばさんに、島根県の益田に行くのだと言ったら、それは大変だ、ウンと厚いのを選ばなくてはと言ったのです。
しょうちゃん帽というのは、毛糸で編んだてっぺんに毛糸の丸い玉が付いている暖かい帽子で、親切なおばさんは太い毛糸で編んだのを探してくれました。
それを大事にコートのポケットに入れて、僕は島根県の益田に行ったのですが、意外にも東京よりずっとお天気がよくて暖かかったのです。
せっかく、デパートのおばさんが選んでくれたしょうちゃん帽は、益田にいる間中、コートのポケットに入ったままで、とうとう一度もかぶりませんでした。
つくづく僕は、益田のことは何も知らなかったと、見るからに暖かそうなしょうちゃん帽を見詰めて思ったのです。
冬は雪が降り続き、住んでいる方も寒さに痺しびれて、不機嫌にしていると、なぜかこの年まで思い込んでいました。
僕だけじゃありません。
デパートの売り子のおばさんも、そう思い込んでいました。
益田の方たちは、なんと、ほとんど底抜けに朗らかな日本人で、冬もお天気がよくて暖かいところだったのです。
そして、日本海に沈んで行く夕陽の美しさは、見事でした。
荘厳と言うべきでしょう。
海に近付いた夕陽は、波の上に黄金の道をつくります。
「なんと、美しい・・・」
海岸に立った僕は、そうつぶやいて絶句しました。
今までに、こんな夕陽は見たことがありません。僕は益田の夕陽に痺れています。


安部譲二 あべ じょうじ 小説家
昭和12年東京五反田生まれ。英国リッジウェイス・スクール、慶応高校、須磨高校、逗子開成高校などを経て保善高校定時制を卒業。プロモーター、キックボクシングの解説者、クラブ・レストラン経営、日本航空パーサー、競馬予想屋などを経て、現在は小説家として活躍。著書は『塀の中の懲りない面々』をはじめ、約50冊。映画・テレビ化された作品も多数。最新作は今年8月出版の『猫のいいぶん、猫のみかた』(河出書房新社)。

17号目次へ