島根の歴史・文化を語る。
古 代 出 雲 文 化 展 開 催 に よ せ て
対談 澄田信義×上田正昭
知事と上田氏
上田 正昭
うえだ まさあき・大阪女子大学学長
京都大学名誉教授・京都大学文学博士
島根県古代文化センター企画運営委員
兵庫県生まれ、京都大学文学部史学科卒業、
昭和46年から京都大学教授、京都府文化財審議会部会長などを歴任。
平成3年定年退官、同年京都大学名誉教授、大阪女子大学学長に就任。
古代出雲文化展準備委員会委員長
国文学、考古学、民俗学なども修め、古代社会を多面的に研究。
著書は『日本古代国家論究』『日本神話』ほか多数。
澄田 信義
すみた のぶよし・島根県知事
島根県出雲市出身。東京大学法学部卒。
和歌山県警察本部長、日本国有鉄道常務理事を経て、
昭和62年より現職。現在3期目。


日本民族揺籃の地、島根ならではの「古代出雲文化展」
知事 今日は、お忙しいところありがとうこざいます。
上田 こちらこそ。
知事 さて、平成9年に東京・大阪・島根において開催予定の「古代出雲文化展」につきましては、シンボルマークも決まり、着々と準備を進めているところです。
上田 それは良かったですね。知事さんから、島根県をどのように活性化するかについて意見を求められ、「古代出雲文化展」の開催を私たちが提言いたしましたら、ただちに受け止めていただき、大変感謝するとともに、大きな責任も感じております。これは島根県にとって極めて有意義な事業になるのではと思っています。
知事 ありがとうございます。
上田 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、出雲は日本民族揺籃の地、わけても神々の国であると非常に的確に表現しておりますが、神庭荒神谷遺跡、あるいは出雲を中心に、石見から越中、富山県に至る範囲での四隅突出型墳丘墓の存在もますます明確になってきておりますし、出雲には『出雲国風土記』という貴重な古典があります。それから、出雲大社、熊野大社、鰐淵寺をはじめとする重要な社寺があり、島根県は日本海側における日本文化、古代史の宝庫であることを私も強調して参りました。そしてローカルであってグローバル。私などはこのことを、「グローカル」と言っているんですが、島根県には出雲ばかりでなく隠岐、石見にもそれぞれのグローカルな文化の伝統がある。ですから、この「古代出雲文化展」には、独自性と普遍性がみなぎっているわけです。ほかの県にはちょっとできない事業になると思いますね。
知事 本県は今、西暦2010年までを期間とする長期計画に基づいてさまざまな施策を行っているところですが、その基本理念の一つに「定住」があります。いかにしたら、若者から高齢者に至るまで、この島根の地に住み着いてくれるのか。そしてもう一つは、「存在価値の構築」です。自分たちが生まれ、育ち、生活していく地域の良さとは何か、誇りの持てる地域、価値ある島根とは何かを追求するということです。ですから、「古代出雲文化展」を開催することは、この「存在価値の構築」、いわゆる自分たちの文化や暮らしの根源がどこにあるのかということを追求することでもあるのです。さきほど先生のお話にあったように、古代出雲の文化圏は石見から北陸に至る地域に広がっていたと考えられます。この文化展の中では、当然石見・隠岐を含んだ「オール島根」を紹介することになりますので、本県をあげて取り組み、ぜひ成功させたいと思います。この機会に、日本全国の皆さんに古代の出雲を認識、また理解していただきたいですね。

知事と上田氏

『出雲国風土記』にみる古代出雲の独自性
上田 私は、学生時代から出雲にたびたびおじゃましています。中でも朝日新聞がやりました「流域紀行」という企画がありましてね、作家の瀬戸内寂聴さんや司馬遼太郎さんたち、多くの作家が担当されたんですが、斐伊川紀行は私が執筆することになったんです。そのとき、斐伊川の上流から宍道湖、境港までを一週間かけて取材して歩いたことがあります。
知事 そうですか。
上田 なぜ、『出雲国風土記』のような、非常に独自性に富んだものができたのか。知事さんもご存じのようにうに、『風土記』は和銅6年に編纂の命令が出まして、各国々の国司が、つまり、国から派遣されている役人が中心になって編纂するわけです。その中で今も残っているのが五風土記と申しまして、出雲国、常陸国、播磨国、肥前国、豊後国のものがこれにあたります。しかしながら、『出雲国風土記』は出雲臣広島これは意宇郡大領、つまり郡の長官、地元出身の役人ですね。その人が秋鹿郡の人と一緒に編纂したんです。こんな例はほかにありません。また現在、全巻冒頭から巻末までわかっている唯一の完本なんです。そして、『古事記』と『日本書紀』の神話とは異なる独自性があるわけです。国引神話は『古事記』、『日本書紀』、そのほかの神話伝承の文献には出てきていないことからも、いかに出雲神話の独自性が強調されているかがわかります。と同時に、この国引神話には、実は北陸の能登半島の珠洲岬から新羅の岬までが入っているんですね。出雲の国だけでなく、対象範囲が非常に広い。これだけグローバルな神話の構想は、よその風土記にはないわけです。また、不思議なことに、よその国の風土記には大王や天皇の巡幸に関する説話がありますが『出雲国風土記』には全くない。
知事 北陸や北九州との関係もあったということですか。
上田 まさに、出雲の国は北陸と北九州の中間ゾーンで、その関係がずっとつづいてきました。日本海文化圏の真ん中であるという意識がはっきり現れているんですね。ですから古代出雲の文化は、日本海を媒介とする中間の重要な場所として、山から考えることもできるし、海から考えることもできる。というのが、私がかねがね抱いている実感なんですよ。ですから、風土記一つ見ても出雲はローカルでグローバルだと感じるんですね。
知事 確かに『出雲国風土記』からは独自性と普遍性がひしひしと感じられますし、理解できますね。国引神話からも新潟、北陸、更に新羅の国と交流があったことがわかりますが、われわれが今、環日本海交流を盛んに行い、日本海国土軸形成の重要性を強調しているところの原点が『出雲国風土記』にある。単なる中央志向ではなく、この地を中心にして自己主張を持っていたんですね。
上田 そうですね。確かに多くの風土記は中央を意識して国司が中央志向で編纂したもので、自己主張はあまりないにもかかわらず、『出雲国風土記』は独立性のある自己主張をきちっとしています。国譲り神話でも、国を奉りますというのではなく、国は献上するけれども、この国は大国主命が鎮まる国だと、ちゃんと書いてありますね。
知事 私どももそうした時代を頭に描きつつ、出雲文化圏の復活、あるいは復興ということを秘めながら日本海国土軸を構築し、環日本海交流の一つの拠点となるようさまざまな取り組みを進めていくことが重要だと思っています。

(次号に続く)

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